This post is also available in: English 한국어 简体中文 繁體中文
明治10年(1877)8月15日、国内最後の内戦となった「西南の役」で西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍は、延岡市の和田越(わだごえ)で最後の激戦を繰り広げましたが、薩摩軍は善戦むなしく敗れ、北川町俵野の児玉熊四郎(こだまくましろう)邸に宿陣しました。そこで西郷は党薩諸隊(とうさつしょたい)に解散布告令を出し、明治天皇から拝受した陸軍大将の軍服を焼き、可愛岳を突囲して故郷の鹿児島を目指しました。その際、西郷が袋小路ともいえるこの地に宿陣したのは、児玉邸の裏手に皇室の先祖に当たるニニギノミコトの御陵墓があることを知っていたからであり、それを裏付けるかのように宿陣していた3日2晩、政府軍は攻撃かできなかったとされています。
その後、可愛岳突囲を敢行し、鹿児島に辿り着いた西郷は城山で自決し、西郷軍は崩壊しました。薩軍最後の本陣となった児玉熊四郎邸は、昭和8年(1933)12月5日に史跡として県指定を受けており、現在も、西郷隆盛宿陣跡資料館として、西郷隆盛の遺品や当時西郷が着用していた陸軍大将の軍服(レプリカ)など、ゆかりの品々を展示しています。